水のコラム
洋式トイレの便器が陶器製なのはなぜ?陶器が選ばれる理由は?
洋式トイレの便器に陶器が採用されている理由をご存じでしょうか?
トイレの便器に使用されている陶器は「衛生陶器」と呼ばれ、産業革命に揺れる19世紀中期にイギリスで開発されました。
当時、なぜ陶器を採用したかは定かではありませんが、トイレの便器には「耐久性」「防水性」「衛生的」の3つの条件が必要と言われており、陶器が適した素材だと考えられているのです。
今回は、洋式トイレの便器に陶器が選ばれている理由や、日本国内で初めて製造された洋式トイレについて解説していきます。
目次
洋式トイレの便器に陶器が選ばれる理由
洋式トイレの便器に陶器が素材として選ばれている理由は、陶器が3つの点で優れているからです。
陶器は「頑丈さ」「防水性の高さ」「衛生面の良さ」を併せ持った素材のため、トイレの便器の素材に最も適していると、採用されています。
頑丈さ
陶器はプラスチックに比べて耐久性が高く、ステンレスのような重さや使い勝手の悪さもないため、製造や設置がしやすく、誰でも気軽に便利に使用することができます。
プラスチック製の便器は強度が足りず、長時間使用することや、かかる負荷の大きさによって劣化や損傷をしてしまいますが、陶器製の便器は強度が高いため、大きな負荷にも耐えられるのです。
刑務所ではステンレス製のトイレが採用されていますが、強度の高いステンレス製の便器が一般に普及しなかったのは、使い勝手の悪さが考えられるでしょう。
ステンレス製は冬場に氷のように冷えるため、ステンレス製の便器を使用する場合、便座を他の素材でできたものに換える必要があるのです。
防水性の高さ
陶器には高い撥水性能があります。
水がしみ込んでしまう素材だと、トイレの水を流すたびに便器を水漏れを起こす可能性や、排泄物が漏れ出る可能性があるでしょう。
安心して使用することができないトイレは使用のたびに苦痛を要するため、防水性の高い陶器は適した素材と言えます。
衛生面の良さ
トイレには衛生面での清潔さが求められます。
陶器は使用できる薬剤が多く、ブラシでの摩擦にも強いため、掃除がしやすい素材です。
掃除がしにくい素材や、掃除自体ができない素材でできていた場合、トイレは排泄物や水垢であっという間に汚れてしまい不衛生です。
不衛生なトイレは伝染病などの重い病を招く可能性もあるため、トイレの衛生面を保つことはとても重要なこととなります。
また、不衛生なトイレは心理的なストレスも与えるでしょう。
日本で陶器を用いた洋式トイレが誕生したのは大正
日本初の洋式トイレが誕生したのは大正3(1914)年まで遡り、日本陶器合名会社(現:株式会社ノリタケカンパニーリミテド)の初代社長である大倉和親氏と、ご尊父である大倉孫兵衛氏が当時の開発者です。
大倉親子が洋式便器の開発に踏み切ったきっかけは、視察に訪れたヨーロッパで出合った、真っ白な便器です。
ヨーロッパではすでに洋式トイレが普及しており、日本では見ないその光景に、感銘を受けたことでしょう。
帰国後、大倉氏は自社工場内に「製陶研究所」を設け、洋式トイレの研究・開発に取り組みましたが、当時の日本はまだ下水設備が整っておらず、大倉氏のこの行動には懐疑的な人も多かったようです。
しかし、大倉氏は日本で今後必要になる設備であると、私財を投じて研究・開発を進めました。
洋式トイレの開発には2年の歳月と、1万個以上の試作品の製造を要し、日本初の腰掛式水洗便所が完成しました。
腰掛式水洗便所の完成を皮切りに本格的な製造に取り組むため、大倉氏は大正6(1917)年に、東洋陶器株式会社(現:TOTO株式会社)を福岡県北九州市小倉に設立しました。
参考:公式サイト
洋式トイレの普及
高級ホテルや帝国議事堂、富裕層が住んでいる洋館には洋式トイレが設置されましたが、当時の日本には椅子に座る文化がなかったため、洋式トイレは一般家庭では中々受け入れられませんでした。
畳の上に直接座る、畳の上で布団を敷いて寝るなど、畳の上で生活を送ることが一般的だったこの時代、腰掛けスタイルの洋式トイレが普及しなかったのは仕方がないことかもしれません。
しかし、昭和39(1964)年の東京オリンピック開催を機に、状況は一変します。
高度成長期に入った日本は大都市圏を中心に公共団地が次々と建設され、この公共団地には洋式トイレが設置されたのです。
以降、洋式トイレは日本国内でも受け入れられるようになり、急速に普及していきました。
トイレの歴史は長い
日本国内で陶器製の便器を用いた洋式トイレが誕生したのは大正初期ですが、トイレ自体の文化は、古くは縄文時代からありました。
日本最古のトイレは縄文時代
日本最古のトイレの発見は、福井県若狭町に位置する鳥浜貝塚遺跡だと言われており、鳥浜貝塚遺跡では数千点の糞石が出土されています。
鳥浜貝塚遺跡には、当時川があったと予測される場所に杭が打たれており、この杭周辺は糞石の出土が多いため、この一帯に住んでいた人々は、川岸に杭を打ち込み桟橋のようなものを作り、その上で川に尻を出してしゃがんで座る形で排泄していたと考えられています。
このような形を桟橋式トイレと言い、世界の一部地域ではこの形のトイレスタイルが現在も用いられているでしょう。
土坑式トイレ
幻の都と言われている藤原京では、土坑式トイレが使用されていたことが、遺跡発掘で分かっているのです。
土坑式トイレは穴を掘り、穴の左右に踏み板を渡し、踏み板を足場として穴の上にしゃがんで排泄を行います。
当時は籌木(ちゅうぎ)という細く短い木片をちり紙として使用していたことも、藤原京跡の発掘で解明されました。
また、甲斐の武将である武田信玄は、水洗トイレの元祖となり得るものを使用していたと考えられています。
「甲陽軍鑑」に当時についての記述があり、風呂の残り湯を家臣に流させていたそうです。
樋箱(ひばこ)の登場
平安時代になると、貴族たちは「樋箱」と呼ばれる、木製のおまるのような形をした、持ち運びができるトイレを使用するようになります。
樋箱には樋洗(ひすまし)や須麻志(すまし)と呼ばれた専任の女官たちがおり、姫君が排泄する姿を、御簾で取り囲み隠しました。
樋箱は十二単の中に入れて使用していたため、女官たちは姫君が身に纏っていた十二単を持ち上げる役割も担っていたのです。
樋箱には引き出しが付いており、排泄の際には引き出しの中に砂や灰を敷いて使用します。
排泄が終わると樋殿(ひどの)に中身を捨て、洗浄を行うことも女官の仕事です。
樋箱には四角型や丸型のものや、漆塗のもの、蒔絵で装飾が施されたものまであり、ちり紙はこの当時から登場したと言われています。
汲み取り式トイレ(ぼっとん便所)
農業の発展に欠かせない鎌倉時代は、土地を痩せさせないための工夫を凝らしていました。
鎌倉幕府は米と麦を同じ畑で育てる二毛作を推奨しており、そのためには土地を痩せさせないための肥料が必要となったのです。
汲み取り式のトイレは、人糞を農作物の肥料として利用するために造られたトイレと言えるでしょう。
戦国時代に入るまで、トイレは屋外に設置されていることがほとんどでしたが、戦国時代に入り武家がいる家庭では、屋内にトイレを設置することが増えました。
これは、武家はいつ敵襲に襲われるか分からない立場だったため、保安上の理由により屋内にトイレを設置する家庭が増えたと考えられています。
厠(かわや)と呼ばれるこのトイレは、江戸時代になると普及の速度を上げ、人糞は肥料として取引をされるようになりました。
肥料は関東一体に船で運び出され、商品としての流通を開始します。
江戸時代の大家は、店子から賃料だけではなく人糞も回収し、大きな収益を得ていました。
明治も汲み取り式のトイレが主流となり、明治中期に水洗式のトイレが輸入されることもありましたが、普及はしませんでした。
まとめ
日本で初めて陶器製の便器を作ったのは、福岡県北九州市小倉に本社を置く、TOTO株式会社の前身会社の初代社長です。
まだ日本国内に椅子に座る文化がなかったころに、今後は洋式トイレが発展すると見込んで研究・開発を進める先見の目があったことで、日本国内における今の洋式トイレ文化は生まれたと言えます。
しかし、陶器は衝撃や熱に弱いため、便器の取り扱いには注意が必要です。
便器に亀裂やヒビが入ると水漏れを起こしてしまうので、早急な対応が必要になりますが、便器を自分で交換することは容易ではありません。
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監修者
福田マネージャー
《略歴》
2018年に株式会社 N-Visionに入社し水道メンテナンス業務を行う。
業界歴は7年で現在年間600件ほどの対応を行う。つまり・水漏れのトラブル解決のプロフェッショナルです。
修理完了後も安心してご利用いただける環境づくりに努めております。
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